ウイーン演奏旅行 日 記

ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団 |
|||
ウイーン楽友協会。 ウイーンの音楽と言えばすぐに思い浮かぶのが、ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団です。本拠地の ウイーン学友協会とウイーンフィルの事務所をたずねました。 |
|||
|
学友協会ブラームスホール(小ホール)と大ホール |
|
日本の演奏会では考えられませんが、幕間で皆さん写真を撮っていますので便乗しました 隣の大ホールへ入っていく人についていくと、練習の休憩中でした。 勝手に入って咎められないのは、信じられないくらいのおおらかさです。 ![]() |
|
|
大ホールでのリハーサル![]()
|
学友協会 大ホール |
![]() |
右側の光がさしている窓の前が立見席です、学友協会の中継で映ることはまずありません。 この立見席にはルールがあるようで、休憩時間に手すりにハンカチを蒔きつけています。 花見の場所取りのブルーシートと同じで、最前列の立ち見席をはずしたとき、ここは私の場所と所有 権を主張する為にハンカチを巻きつけているようです。 |
ハン・シュトラウス2世 | ![]() |
モーツアルト |
![]() |
||
![]() |
![]() |
著名人の銅像 | |||||
|
ベートーベン ベートーベン交響曲第6番「田園」の二楽章のインスピレーションを得た散歩道の小川シュライバーバッハのほとりにある、難聴の治療に訪れたハイリゲンシュタット温泉の跡地に立っている |
|
|
フランツ・ヨーゼフ一世 オーストリア帝国の国父と呼ばれ、実質的な最後の国王、皇后は美貌で知られるエリザベート |
|
|
|
![]() |
カフェ モーツアルト |
恐れ多くもモーツアルトの名前をいただいた オーケストラのメンバーといたしましては 「CAFE MOZART」での食事ははずせま せん。 |
![]() |
中 央 墓 地 中央墓地は公園のような緑あふれる墓地で、著名な作曲家が眠っています
|
ベートーベン | ![]() |
モーツアルト |
![]() |
![]() |
ブラームス | ![]() |
シューベルト |
![]() |
![]() |
ヨハン・シュトラウス一世(父) | ![]() |
ヨハン・シュトラウス二世(子) |
![]() |
![]() |
ヨーゼフ・シュトラウス(一世の次男) | ![]() |
サリエリ |
![]() |
![]() |
ウイーン風景 |
オペラ座 |
![]() |
ケルントナー通り | ![]() |
カールス協会 |
![]() |
![]() |
ペーター協会 | ![]() |
カールスプラッツ駅 |
![]() |
![]() |
路面電車 | ![]() |
新婚記念撮影 旦那がうつむいて後悔している様子が気に なります。 |
![]() |
![]() |
パフォーマンス | |||
ウイーン市内には銅像になりきったパフォーマーが多くいます。 | |||
|
|||
バイオリンのパフォーマーはお金をかごに入れると演奏を始めます。 しばらくするとだんだん遅くなり、お金を入れるとテンポが戻ります。 |
|||
|
シュテファン大聖堂 | |||
|
シュテファン大聖堂内部。 | |||
|
ベートーベンの散歩道 | |||
ベートーベンの遺書の家・ベートーベンの散歩道・標高484mからウイーンの町を一望できつカーレンベルグへのハイキングコース入り口。 | |||
|
|||
![]() |
シュウライバッハの小川 | |
ベートーベンが田園のインスピレーションを得た散歩道を流れる小川です。 | |
|
|
![]() |
ベートーベン ハイリゲンシュタット遺書の家 ベートーベンが32歳で耳が聞こえなくなり、1802年に絶望して遺書を書いた家 この遺書はベートーベンが1827年に亡くなった後に発見されました |
![]() |
写真左ベートーベンの胸像 写真右デスマスク。 | |||
|
|||
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
Copyright ©katano Dayori All Rights Reserved