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アユタヤ

 ワット・アルン ワット・ポー ワット・プラケオ アユタヤ バンコク





バンコクからアユタヤは高速道路で71km 1時間15分の距離にあります。バンコク市内の外れで大規模な開発が行われていました。さらに進むと田園の中に住宅の建設があちらこちらでおこなわれています。さらに進むとあたりは一面の田んぼです。
 アユタヤに入ると雨季の曇った空の下、平屋の土ぼこりにまみれた家屋が道の両側にあり、人通りは少なく、たまに見かける人の衣服も野良作業に適したものです、車も少なくバンコクに比べると薄汚れた車を多く見かけます。

 アユタヤは1351年に都として建設され、1767年にビルマ軍の攻撃で破壊されるまでの417年間アユタヤ王朝の
都として栄えた街です。多くの荘厳な遺跡群が有りますが、ビルマ軍により破壊されています。重機が無かった時代に、人手でよくこれほど破壊したなとその執念とかけた手間に感心しました。
人がいない遺跡を一人で散策すると、なんとなく背筋がスーとする感覚に襲われます。その手にあまり強くない私ですがそれでもがんばって集合時間ぎりぎりまで見て回りました。



ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

アユタヤに入り、山田長政ゆかりの日本人街跡を通りすぎ最初に訪れたのが、アユタヤで一番の人気寺院のワット・ヤイ・チャイ・モンコンです。

涅槃像のお顔が黒く汚れていますが、金箔を奉納しお顔に貼り付ける風習があり離れてみると、汚れて見えます



高さ72mの仏塔は1952年に19代ナレスアン王がビルマ王子を一騎打ちで破りビルマ軍との勝利に記念し建築しました。ビルマが先に建てたチェディ・プカオ・トンのパゴダに対抗して建立しましたが高さがわずかに及びませんでした。
塔の真ん中に入り口が見えますが、中には仏像が何体も安置されています、内部には照明がありませんが、入り口正面の仏様に光が当たり、貼り付けられた金箔できらきらと輝いています。荘厳というか、覗いてはいけないものを覗いてしまったかのような感覚に襲われ、写真撮影をしましたが消去してしまいました。


周囲を無数の座仏が安置されています、この座仏はビルマ軍により破壊され首なしとなった座仏を修理し安置しています。



ワット・マハタート

写1374年に建立された大寺院ですが、ビルマ軍との戦いで破壊さた、大変痛々しい遺跡です。現在も修復作業をつつけているということでしたが、修復作業が行われている様子はなく、今にも崩れそうなところがあちこちにありました。



菩提樹の根にはさまれて持ち上がった仏塔は有名です。
私は鬱蒼としたジャングルの中にあるものと思い込んでいました
が、実際は入り口を入って少し言った右手の広場に、長さ5m位のレンガ壁があり、その壁に貼りつくように菩提樹の木があります。
お釈迦様は菩提樹の下で悟りを開かれましたが、仏塔はその菩提樹に抱かれて、大変安らかなお顔をされていました。
    
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